「雪氷圏の気候科学」への誘い 

                                             地球環境学科 力石國男
                         

                         (スイス,ダボス市にて)

 皆さんは雪氷圏という言葉を聞いたことがありますか?雪氷という言葉から,北日本の豪雪や吹雪・雪崩を連想する人が多いと思います.アルプスやヒマラヤなどの氷河を連想する人も少なくないでしょう.最近のマスコミ報道から,広大な南極大陸上の雪(氷床と呼びます)や北極海の海氷原野を連想する人がいるかも知れません.これらは,いずれも自然災害の軽減や自然の神秘探求を目的とした,ロマンあふれる雪氷研究分野です.

 しかし,最近の地球温暖化に呼応して,雪氷圏はいま地球規模の大規模な変動を経験しています.アメリカの航空宇宙局(NASA)の研究者は,現在のペースの海氷後退傾向が続くと,今世紀末までには北半球から夏季の海氷領域が消失してしまう可能性があると警告しています.スイス連邦工科大学の大村教授は,来世紀中庸までには,世界中の氷河・氷帽も消失する可能性があると指摘しています.このような雪氷圏の後退・減衰は地表面の熱収支(地表面と大気の熱のやり取り)を変えるので,すでに大気循環を変化させて局地的な異常気象や砂漠化を誘発していることも考えられます.また,これらの環境変化は人間活動の増大・拡大に起因していると危惧されているのです.このような理由から,雪氷学は地球環境学や地球システム科学において非常な注目を浴びているのです.

 これらの環境変動の謎解きに挑戦するのが「雪氷圏の気候科学」です.それは,温暖化によって雪氷圏がどのような影響を受けるのか,雪氷圏の変動がどのように異常気象・地球環境変動に関係しているのか,人間活動の拡大は雪氷圏と大気循環の相互作用にどのように関わっているのか,などを究明する学問です.しかしあまりに広範囲にまたがる学問であるため,これまでは正面から取り組む研究者は少なかったように思います.しかし,最近は,人工衛星による地球観測技術の発達やインターネットによるデータ転送技術の普及により,それが可能になりました.「雪氷圏の気候科学」は黎明期にある新しい学問ですが,逆に言えば,誰もがこの学問の発展に寄与できる環境にあるといえます.

 私は,昭和63年に弘前大学理学部に寒地気象実験室(予算施設)が設立されて以来,冷夏や豪雪など,地域の異常気象の問題をローカルな視点から取り組んできました.しかし,その原因を追い求めてゆくうちに,北極圏を中心とした北半球の雪氷圏の変動にその秘密が隠されていることがわかりました.一時,「世界海洋観測実験研究(GOOS)」の一環として,日本近海の海峡間の地電位差の連続測定による海流変動モニタリングの研究や,「積雪寒冷地域における自然エネルギー利用技術の開発研究」(科学技術庁の地域先導研究)に労力を割いた時期もありましたが,いまは「大気−海洋−雪氷圏の相互作用」と「ローカルな異常気象をグローバルな背景から」をモットーに,北日本の異常気象のメカニズム解明と,それに関わる雪氷圏の気候科学の体系化に夢中です.

最近の研究成果の紹介

1.北半球の季節積雪の後退と融雪の早期化(Rikiishi et al, 2004)

 アメリカの国立海洋大気庁(NOAA)は,1966年以降,人工衛星の可視画像から北半球全体の積雪領域が観測しています.図1は,その観測結果に基づいて,北半球の積雪面積の平均年変化を約10年毎に比較したものです(9月第1週を基準とした1週間毎の値).70年代に比べると,90年代は積雪の始まりが約1週間遅くなり,積雪の終わりが約2週間早まって,積雪期間が3週間短くなっています.このうち,融雪の早期化を地域的に調べると(図2),ほぼ全域で融雪が早まっていますが,その割合は,中緯度や標高の高い山岳地域(ヒマラヤ・チベット地方,中央アジア,ロッキー山脈など)で大きくなっています.なぜ,これらの地域でとくに融雪が早まっているのか,その理由は不明ですが,地球環境の変化の原因を知る上で鍵を握っていると思われます.




2.ヒマラヤ山脈・チベット高原の積雪面積の減少傾向 (Rikiishi and Nakasato, 2006)

 ヒマラヤ山脈・チベット高原の積雪は世界人口の約1/3の人々の水源となっています.また,高度約5000mにある広大なチベット高原は,冬期は放射冷却により大気中層を冷却させ,夏期は強い日射により大気中層を加熱しているため,そこでの積雪の有無は北半球の大気循環に大きな影響を与えていると考えられます.

 図はこの地域の年平均積雪面積が年々減少していることを示しています.減少率は年約1%ですので,この35年間で積雪面積がおよそ2/3に減少したことになります.減少率の大きさを地域的に調べると,チベット高原の方が周辺地域より大きいことがわかります.なぜチベット高原の積雪が世界で最も大きな減少率を示すのか,現在のところ不明ですが,温暖化に伴う砂漠化の進行が砂漠起源のエアロゾル(大気浮遊塵)を増加させ,それが積雪のアルベド(太陽放射の反射率)を減少させて融雪を早めているというシナリオも考えられます.



3.北半球の海氷面積変動のテレコネクション(Rikiishi et al., 2005)

 マイクロ波放射計による衛星観測が始まった1972年以降,北半球全体の海氷面積は確実に減少し続けています.しかし海域毎の経年変動は必ずしも一様ではありません(図1,2001年まで).オホーツク海やバレンツ海,グリーンランド海は減少傾向を示していますが,ベーリング海やラブラドル海は弱いながら増加傾向にあります.なぜ比較的近い距離にあるオホーツク海とベーリング海,あるいはラブラドル海とグリーンランド海で,海氷面積の変動に負の相関があるのでしょうか.なぜ遠く離れているオホーツク海とバレンツ海や,ベーリング海とラブラドル海の間に,海氷面積変動の正の相関があるのでしょうか.

 海水は塩分を含んでいるので水温が低いほど重い水になり対流を起こしますが、凍結温度(約−1.8℃)に近づくにつれて対流が弱まり、淡水同様に海面付近から凍っていきます.氷の厚さの成長は寒気による冷却が原因ですが、海氷領域の拡大には寒気による冷却のほかに海流や風による海氷の漂流が関係してきます.(ただし,後者は海氷の位置を変えるだけですので正味の海氷の成長には寄与しません.)

 海氷領域と大気循環の関係を調べると,北半球のどの海域でも寒気が大陸(あるいは北極圏)から吹いてくるとき海氷領域が風下に拡大しています.また,寒気を運ぶ風は低気圧の強さと位置によって決まっています.例えば,アリューシャン低気圧(アイスランド低気圧)が強まりその位置が大陸に近づくとき,その気圧配置によってオホーツク海(ラブラドル海)には大陸からの寒気が運ばれ,海氷原が拡大します.このとき,ベーリング海(バレンツ海)で海洋性の暖かい風が吹くため,海氷原は拡大しないのです.一方,アリューシャン低気圧(アイスランド低気圧)が弱まりその位置が東偏するとき,ベーリング海にはアラスカからの(バレンツ海には北極圏からの)寒気が吹いて,海氷原が拡大します.不思議なことに,アリューシャン低気圧とアイスランド低気圧消長には負の相関があります.このため,遠く離れた太平洋と大西洋の海氷領域の変動に高い相関が見られるのです.図2はこのような海氷面積の変動のテレコネクションを模式的に示しています.



4.オホーツク海の海氷と日本の豪雪の負の相関(Rikiishi and Miyahata, 2006)

 20世紀の後半以降,地球規模の温暖化が進行していると考えられていますが,2005年の冬期,北日本は記録的な豪雪に見舞われました.しかしこの年,オホーツク海の海氷面積は平年の半分以下でした(右図).全く同じようなことが1984年の北日本豪雪の時にも起こっています.反対に1978年や1979年,2001年(左図)には,北日本は寡雪であったにも拘わらず,オホーツク海はほぼ全域が海氷で覆われました.オホーツク海の海氷も北日本の雪も,ともにシベリアから寒気が吹き付けることが原因なのに,なぜ両者にはこのような負の相関があるのでしょうか?

 それは,アリューシャン低気圧の強さと位置に関係しています.アリューシャン低気圧が発達して位置がカムチャッカ半島の南東部にあるときは,東西の気圧勾配はオホーツク海で強まって寒気はオホーツク海に運ばれ,オホーツク海の海氷原が拡大します.しかし日本付近では,季節風の吹き出しが弱くなり,雪はあまり降らないのです.一方,発達したアリューシャン低気圧が千島列島に付近まで西偏するとき,東西の気圧勾配は日本海で強まり,このため北日本に冷たい北西風が吹いて大雪が降ります.しかしオホーツク海では暖かい北東よりの風が吹いて,海氷原はあまり発達しません.つまり,シベリアの寒気が,その時のアリューシャン低気圧の位置により,オホーツク海または日本海に運ばれるために,オホーツク海の海氷と北日本の豪雪には負の相関が見られるのです



5.地形による風の収束と局地的降雪(力石・登城,2004)

 日本列島は昨年にひき続き大雪に見舞われています.北緯40度以南で毎年こんなに多量の雪が降る国はほかにありません(ヒマラヤなどの高山地域を除きます).その原因は,世界で一番寒い地域から寒気が日本列島に吹き付けることと,間に日本海が横たわっていることにあります.しかし,細かくみると,隣接した地域でも低気圧の移動経路や風の吹き方によって,雪の多い所・少ない所が生じます.言い換えれば,総観規模の気象状況・気圧配置だけでは降雪の強さが決まらないのです.

 雪は上昇気流が生じる気象条件/地域で降ってきます.上昇気流が空気塊の温度を低下させ,空気塊中の水蒸気を雪結晶に変えるからです.よく知られているように,日本列島は脊梁山脈が縦走しているので,それを越える季節風の上昇によって多量の雪が降ってきます.しかしこの場合は山岳地域を中心とした山雪となり,沿岸平野や山間部の盆地では強い降雪にはならないことが多いのです.

 私たちの研究によれば,山越え気流以外にも,地形効果によって生じる上昇気流があります.つまり,やや弱い季節風が地形の影響で収束したり合流したりするときにも上昇気流が生じ,その風下にある平野や盆地に局地的な大雪をもたらしています.石狩平野・津軽平野南部・横手盆地・新庄盆地・十日町盆地は風上地形による気流の収束によって大雪が降る例ですし,上川盆地・青森平野・新潟県南西部・北陸地方ではふたつの気流が風上で合流することによって局地的な大雪が降る例です.図は,十日町(上図)および旭川(下図)において3mm/3時間以上の強い降水量(雪を解かしたもの)の時の,風速分布(左図)と降水量分布(右図)を示しています.地形による風の収束と局地的な降雪との関係がみてとれます.






今年度の卒業研究/修論研究の紹介

1.衛星観測データからみた北半球の早期融雪の地域的分布
2.積雪観測データからみた北米大陸・旧ソ連邦の早期融雪の地域的分布
3.青森飛行場の霧の発生機構
4.シベリア高気圧の発達機構
5.北日本に冷夏をもたらす偏西風分流(ダブルジェット)の発生機構
6.太陽活動の変動が大気循環に与える影響
7.ヒートアイランドの発生メカニズム

その他の主な重要研究課題

 ・北日本の夏季の冷たい北東気流(ヤマセ)の発生機構
 ・日本各地の盆地・沿岸平野の降雪機構
 ・地形効果による局地的強風の発生メカニズム
 ・日本各地の霧の発生機構
 ・海面冷却/海氷生成による沿岸境界流の発生機構
 ・海峡間の地電位差連続観測による海流変動のモニタリング

雪氷圏の気候科学への誘い

 「雪氷圏の気候科学」は黎明期にある,新しい学問です.地球温暖化や異常気象の問題だけではなく,砂漠化や水資源問題など,人間活動に起因する地球環境問題を解明するために欠かすことができません.いまは衛星観測データがインターネットで簡単に入手できる世の中になりましたので,アイデアさえあれば,どこにいても世界の誰よりも先に自然の秘密を知ることができる時代になりました.私たちは,地球規模の自然の謎解きに挑戦したいという学生の入学を待っています.

エッセイ:光の記憶
(放送大学青森学習センター・センターだより「林檎」第45号転載)
                                    放送大学客員教員 力 石 國 男


             (ニュージーランド,ダニーデン市近郊の空の色:2005年12月7日)

 今から30年以上も昔のことです.久しぶりの帰省の時に見上げた空の色が,私が野山を駆け回っていた頃と同じであること気づき,静かな感動を覚えました.長年の都会生活で忘れていた子供の頃の光の記憶が呼び覚まされたのです.昼下がりの秋の空は白みがかった柔らかい青色でした.私が15歳で離れた後も,山あいの村にはきっと毎年同じ色をした秋空が広がっていたにちがいありません.

 その日以来,日本や世界の各地を旅するとき,その地方の空の色を観察するのが私の習わしになりました.そして,なぜ土地が変われば空の色が変わるのか,なぜ太陽の光が季節や地方によって違うのか,それは人々の心にどんな影響を及ぼしているのか,などと考えるようになりました.

 雨上がりの空に架かる虹は,太陽光が紫・青・緑・黄・橙・赤などさまざまな波長の光を含んでいることを教えてくれます.私たちは,光が空気分子によって散乱して私たちの目に届くとき,空の色を感じるのです.(空気のない大気圏外は,散乱が起こらないので漆黒の世界です.)太陽光は,波長の短い光(紫・青)ほど強く散乱し,波長の長い光(赤・黄)の散乱は弱いという性質があります.このため,光が大気中を通る距離が長いと途中で紫・青の光が散乱して減衰してしまい,赤や黄の光だけが残ります.つまり,光の通過距離によって,散乱する光の色成分が異なるのです.朝夕は光が斜めに差し込むため大気中を通過する距離が長くなり,大気下層では黄・赤の光の散乱が強まります(夕焼け・朝焼け).逆に昼間は,光が真上から差し込むため通過距離が短かくなり,青の散乱が目立ちます(青空).太陽光が大気中を通過する距離は,冬が夏より長く,高緯度地方が低緯度地方より長いので,季節や地方によって空の色に違いが生じるのです.

 このような理由で,高い山では空の青さが紺碧に見えます.緯度の高い地方では空の青さが水色を帯びてきます.真上の空は青くても,地平線近くの空は青緑・緑っぽく見えます.ヨーロッパの秋の光は黄色成分が多いので,”ヴィオロンのため息”を誘う憂愁の色が濃くなります.昨年8月下旬に訪れたノルウエーでは,一日中太陽が低いので,朝がゆっくりと明けて,ゆっくりと日が沈んでゆくことを知りました.ノルウエーの作曲家グリーグの名曲「ペールギュント」の中の「朝」は,そんな光の世界から生まれたのです.

エッセイ:地球科学に学ぶ人類の未来
((財)簡易保険加入者協会「保険展望」第49巻10号転載)

                                      弘前大学理工学部教授 力 石 國 男


 最近は異常気象や自然災害,資源問題,環境問題が社会的に注目され、地球科学に対する関心が高まっている。私は北日本の厳しい自然現象(冷夏や豪雪など)を大気−海洋−雪氷圏の相互作用の観点から研究しているが,多種多様な観測データをグローバルな視点から分析しているため、最近の出来事の見方について地球科学から学ぶことが多い。

 人類が直面している環境問題は,つきつめてみれば,世界の人口が15世紀以降に指数関数的に増加したことに集約される。この爆発的な人口増加は正のフィードバックによる不安定現象を連想させる。正のフィードバックとは,たとえば,地球が寒冷化すれば北極圏周辺の雪氷面積が拡大し、そのため太陽放射エネルギーが宇宙空間に反射されて,地球がますます寒冷化するという(悪)循環のことである。最近話題のデフレスパイラルも、不景気になって賃金が下がると購買力が低下し、ますます製品が売れなくなって不景気が強まるという悪循環である。このループを断ち切らないと,その先には破綻が待っている。

 しかし人口増加の問題は,正のフィードバックとは少し違って,科学技術の進歩(食糧生産技術や医療技術の向上など)の結果である。増加した人口を養うためには更なる技術開発が必要だが,科学技術がその要求に応えうる限り,人口は増加し続ける。しかし地球の資源は有限であり、かつ人間の知恵にも限界がある。加えて、科学技術の進歩はその恩恵を享受できる者とできない者の格差を拡大させて、政治的不安定を生み出している。そのため、必ずどこかで破綻が待ちかまえているといえる。ねずみ講や,持続的な地価上昇(土地神話)を信じたために生じたバブルの崩壊によく似ている。

 現世人類が地上に出現したのは,地球46億年の歴史の中で,わずか4万年前のことである。人類の歴史は,実質的には,最後の氷河期が終わって地球が温暖化に向かった時(1万5千年前)にスタートしたといってよい。その後,石器・土器・青銅器・鉄器や農耕文化を生み出し,文明の中心は,氷河期の影響が弱まるにつれて,メソポタミア・エジプトからギリシャ,ローマへと,温暖な地域を西へ移動していった。食糧生産は基本的に農耕面積に依存していたので,人口増加は極めて低調であった。

 しかし今から約500年前に始まったルネサンスは、その後の世界を一変させてしまった。ルネサンス三大発明のうち,印刷技術の開発は新しい思想と科学知識を普及させ、火薬の発明は武力支配による富と権力の集中をもたらし,羅針盤の発見は海上交通を開いて帝国主義による植民地支配を可能にした。近代科学の誕生はその後の産業革命につながり,私たちはその恩恵を享受することになる。反面,産業革命は今日の環境問題の原点となり,また二度にわたる世界大戦の伏線ともなった。

 かっては土地が富の源泉であったが,現在はその役割を科学技術が担っている。科学技術は,生産力と同時に絶望的な破壊力を作り,繁栄と同時に貧困を生みだし,愛と同時に憎しみを増幅させてきた。これらの矛盾が不安定要因となって,私たちはいま舵取りの難しい時代を迎えている。この両刃の剣をコントロールできるかどうかは,ひとえに人類の智恵の如何にかかっている。

---------------------------------------ご苦労さまでした----------------------------------
     弘前大学理工学部地球環境学科
     大気水圏環境学講座 教授
     力 石 國 男 (りきいしくにお)
     rikiishi@cc.hirosaki-u.ac.jp
     Tel: 0172 - 39 - 3605

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